サッカースクール
FC Real Earnest サッカースクール
フィールドキャリア協会 副会長
FC Real Earnest 代表
吉田 真史 (Yoshida Masafumi)
幼い頃から各カテゴリの選抜に抜擢され
中学で関西選抜候補に選ばれる。
高校ではヴィッセル神戸ユースチームで
頭角を現し
高校卒業後、Vissel神戸ユースチームから
当時では只1人だけTOP昇格を果たし
プロ契約を結ぶ。
今考えると本当に情けないのですが
当時プロ1年目で高校卒業したての私は
完全に勘違いしており
図に乗っていました。
当時の監督のイワン・ハシェックから
「このチームの中で一番技術があるのは
お前だ。しかし私は今のお前を
試合に使うつもりはない。
なぜかは自分で考えろ」と言われた時も
素直にその真意を考えることができず
当時の私は「一番うまい選手が
試合に出れないはずがない。
技術があるのに、使わないのは、
お前が使いたくないだけやろ!」と
心の中で監督に反発してました。
完全におごり高ぶっていたのです。
自分の技術に対する
絶対的な自信があるがゆえに、
自分を使ってくれない
監督のアドバイスに対して
素直になれない私がいました。
一向に試合に出れず
それから3年がたった頃
出場機会を求め
別のチームに移籍した私に
試練が訪れます。
膝の前十字靭帯を
断裂してしまったのです。
手術をし、復帰までのリハビリには
9ヵ月かかると聞いた時は、
気が遠くなり、悔しさが込み上げて
泣いたのを今でも鮮明に覚えています。
その時ふと、昔ハシェック監督に
言われたことを思い出し
リハビリしながらも
ずっとその言葉の真意を
考えていました。
「このチームの中で
一番技術があるのはお前だ。
しかし私は今のお前を
試合に使うつもりはない。
なぜかは自分で考えろ」
朝も昼も夜も時には夢の中でも
考え続けたのです。
そして、ようやく気づいたのです。
当時、なぜ自分が
使ってもらえなかったのか
その真意について。
当時、練習の時に自分より明らかに
技術が劣る選手が監督から抜擢され
しかもその選手達が
試合で素晴らしい活躍をするのを
何度も目の当たりにしました。
なぜ彼らは監督に抜擢され
監督の期待通りに
試合で活躍することができるのか?
自分との「違い」は何なのか?
当時は冷静に考えることが
できなかったのです。
怪我をして「どん底」を経験したからこそ
気づけたのかもしれません。
彼らとの違いは「発揮能力の違い」
だったのです。
誰よりも練習を頑張り
保有能力、技術に対する
絶対的な自信を持っていた私ですが…
正直に言います。
強がっていたのだと思います。
強がりの自信だけで試合に臨むと
試合の時には、その強がりの自信と
同じくらい強いエネルギーで
「プレッシャー」が襲ってきます。
大事な試合の最中
たった一つのミスから
無意識のうちに不安な感情が広がり
思うように身体を動かすことが
出来なくなる時もあり
試合後何度も何度も
悔しい思いをした経験があります。
現役の選手に共通する事だと思います。
ステージを上げるごとに保有能力
絶対的な技術に対する自信を
高めなければならないのですが
それと同じだけステージが上がるほど
プロとしての「プレッシャー」との戦いが
待っているのです。
プロという厳しい世界では
いくら素晴らしい能力を保有していようが
それを試合という
「やり直しのきかない場」で
発揮出来なければ
それは「保有していない」のと
同じことなのです。
だからこそステージが上がれば上がるほど
この「発揮能力」が求められるのです。
ではどうすれば
発揮能力を高めることが出来るのか?
それは
「素直な」負けず嫌いになることです。
そして、素直になるためには
「感謝」することです。
当たり前と思っていたことは
決して当たり前ではない。
普段から自分を支えてくれている
全ての事柄に
ありがとう・ありがとうを
大事にすることによって
プレッシャーから解放され
サポーターや同僚からの応援が
自分を高める強いエネルギーとなり
試合で最高のプレーを発揮することが
できるようになる。
この本当に大切な本質的な気づきこそ
当時の監督が
私に気づいて欲しかったことでは
ないでしょうか。
監督から「自分で考えろ!」と
当時言われたことの答えが
ようやく見つかったのです。
選手として「大怪我」ほど
「取り返しのつかないもの」は
ありません。
大怪我をした当時は、
怪我でベストパフォーマンスを
尽くせない自分の不運を
何度も恨みました。
でも逆境の中にこそ成長がある。
プロとして5年間プレーをした後
様々なクラブでサッカーを通じて
社会と触れ合う活動を行うさなか
「感謝」の大切さを
あらためて実感することができ
サッカーを小学生の頃から
ずっとやらせてもらっていた親に
サッカーで海外に挑戦することが
今の自分にできる恩返しだと考え
挑戦する事を決意。
当時やっていた仕事も全て辞めて
一人でイタリアへ渡る。
イタリアでは
カテゴリーがあまり上ではない
セリエDのチームからの
オファーだった為に給料が安くて
生活をすることすら大変でした。
そして
サッカーを全力でするにしても
外国人枠の問題や
言葉が通じず
上手くコミュニケーションが取れなくて
パスがもらえなかったりと
異国の地で生きて行くという
現実の厳しさを痛感しました。
何事も準備が大事と言いますが
自分の場合、完全に準備不足でした。
世界で活躍している一流の選手は
学生時代から世界を視野に
語学の準備をしています。
それでも私はあきらめませんでした。
失敗は
自分で失敗という意味を
与えない限り失敗ではない。
全ては自分を成長させる為に必要な
学ぶ経験だと!
現役へのこだわりを持ち続けていた私は
また単身でセルビアへ渡る事を決意。
ありがとうの数だけ人生は変わる。
本当にそうだと思います。
全てをここに置いて帰ろう。
支えてくれた全ての人に
「感謝」の気持ちを持ち
ラストチャンスで臨んだ
セルビアでの挑戦。
TOPリーグの
ヴォイヴォディナというチームでの
トレーニング参加に
合格することができたのです。
不思議なことにここに来て
小学生や中学生の頃に持っていた
サッカーが楽しくてしょうがない!
という気持ちに
原点回帰することができました。
様々なことを経験する中で
たどり着いた
サッカーを心から
楽しむことの大切さ。
セルビアで
「楽しみながら学ぶ」という習慣が
さらに集中力を高めてくれました。
セルビアのサッカーも
ヨーロッパだけあって
レベルは非常に高いです。
小さい日本人が
大きなヨーロッパ人を相手に
いかにして勝つかを
集中して考える日々のおかげで
勝つために必要な
様々な新しい技術を
習得することができました。
ですが残念ながら
その学んだ新しい技術を
ベストパフォーマンスで
出力し続ける身体が
もはや私にはありませんでした。
有難いことに現役引退後
この経験を
次世代の子ども達の育成に
役に立てて
世界のTOPで活躍出来る選手を
発掘、育成していきたいと
思いが強くなり
その後、イタリアやセルビアの
現地の育成システムを学び
帰国しました。
日本の子供達に向けて
自分の経験を伝え
一人でも多くの子ども達の
夢を叶えるサポートをしたいと考え
指導・育成に着手するようになる。
そして、プロにいた5年間と
その後社会に出た時に感じた
「ギャップ」の経験から
「セカンドキャリアの充実」の
重要性も組み込んで
サッカーを通じて
本当に人間として必要なことを学べ
かつ社会に出ても活躍できる
今までにない
新たな人材育成プロジェクト開発に
着手している。